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「東アジアの体育世界における日台スポーツ交流」国際展

  • 開催日:2021-08-05
  • 開催日:2021-11-07

19世紀以来、イギリスの海外領土拡大とヨーロッパ帝国主義の台頭に伴い、スポーツは欧米文化の一環として世界各地に紹介されました。こうして新たな意義を付与された特定の身体運動は、徐々に人々の日常生活の一部となっていったのです。

台湾社会でスポーツが幅広く知られるようになったのは、日本との接触を介してでした。レクリエーションの楽しさ、日本と競争する機会などにより、運動にこれまでとは異なる見方が生まれ、台湾の人々がスポーツとしての運動を知るきっかけとなりました。

戦後、国際社会でのプレゼンスを高めるため、スポーツの焦点は競技に当てられ、地域や国際間において競技で勝利することは個人の自己価値向上だけでなく、「国のために栄誉を勝ち取る」期待を背負うことでもありました。誰を代表して競技に参加するのか――各時代における台湾のアスリートたちは、正に時代ごとの社会の期待を背負ってきたのでした。

オリンピックはスポーツの最高の殿堂です。競技場はアスリートがしのぎを削る場となり、そのスタートラインに立つにはアスリートとして優秀であることはもちろん、さらに機運も重要でした。しかし、一般人にとってスポーツの楽しみは純粋であり、流行りであり、娯楽であり、もはや生活の一部です。

あなたにとってのスポーツとは?

セクション1 体操――日本からやって来た新事物

日清戦争後、台湾の統治権を獲得した日本は近代的な学校教育を台湾に導入し、そこには近代体育の原形――体操も含まれていました。

筋骨を動かして強い身体を作るというのが運動のメリットですが、台湾では女性が纏足から解放されるきっかけともなりました。伝統社会から現代文明に向かう中で、ルールを守り相手を尊重する文化がスポーツによって形成されていきました。

何も持たず集団で行う体操には規律と服従の要素があり、ゆくゆくは戦場に送るための訓練であると考えた一部の台湾人は、学校へ行かない選択をする者もいました。その後、公学校の運動会の開催を通じ、台湾社会でも体育が受け入れられるようになりました。

その後、共通ルールと儀式を通じてまったく知らない相手と手を合わせるスポーツ競技は、個人の成績を追求するだけでなく、地方や国への帰属と責任を負い、場合によっては国から召集がかかることもありました。

セクション2 スポーツ――全員参加の競技

大正時代以降には各スポーツ競技会が開催されるようになり、その楽しさにスポーツ人気はますます高まっていきました。スポーツのルールと競技文化は、日本人と平等に競争できる機会を台湾人にもたらし、植民統治下の抑圧された気持ちをスポーツで発散させました。同時に人々はスポーツ競技を通じて自分の居場所を見つけ、スポーツは大衆文化の一環となっていきました。ユニフォームは新たな社会的身分を示すものとなり、優秀なアスリートはスポーツを通してより多くの機会を得、高まるスポーツの気運はマスコミを通じて広く社会に広めらました。

台湾社会においてストレスを緩和するスポーツ競技会は、日本側の統治にも有利でした。このため殖民地政府はスポーツ競技を奨励する一方で、スポーツへの情熱が競技会場外にも広がらないよう慎重に統制し、植民感情を「勝って驕らず、負けてくじけず」のスポーツマン精神の中へと閉じ込めたのでした。

セクション3 競技――台湾チームの出現

スポーツ競技で観戦者が注目するのは、自分の局限に挑戦するアスリートたちの姿です。しかし、一部の台湾出身のアスリートに対し、台湾の人々は好成績を期待しながらも期待外れを心配し、「悔いが残らぬようベストを尽くせばよい」という思いにとどめました。

日本統治時代、日本国内では地域や学校対抗のスポーツ競技会が開催されるようになり、台湾でも学校や企業、州郡や全島から最高レベルの代表選手が選ばれました。当時は日本の一地域の代表でしかありませんでしたが、「臺」(「台」の旧字)の文字がプリントされたユニフォームは、台湾にも自らを代表する初めてのチームができたことを意味しました。

時代の変遷に伴い、代表チームの名称は幾度か変更されましたが、台湾出身のアスリートはまぎれもなく台湾人のヒーローでした。

セクション4 体育――東京五輪と台湾

「オリンピック、オリンピック、宗教を分かたず、種族を論ぜず、友情の促進と世界の平和のため、五大州の若者がここに集い…」(中華オリンピック委員会会歌)

四年ごとに世界の各地で開催されるオリンピックは、21世紀最も注目を集める世界的なスポーツの祭典です。東アジアではこれまで韓国、中華人民共和国、日本がオリンピックの開催地となりましたが、三度も開催権を獲得したのは日本東京だけです。史上三度の東京オリンピックはあたかも一枚の鏡のように、その時々の台湾社会とアイデンティティを映し出しました――日本人なのか、中華民国なのか、それとも中華台北(チャイニーズタイペイ)なのか。我々は一体何者なのか。アイデンティティとナショナリズムの問題は常に台湾人アスリートにつきまとい、台湾のアスリートとスポーツ界は各時代の異なる社会の期待に応えてきたのでした。

スポーツの様々な可能性

今日、競技イベントはほぼスポーツの代名詞となり、中でもオリンピックやワールドカップなどの世界的なイベントが注目の的です。では、観客席やテレビの前にいる観戦者は果たして部外者なのでしょうか。

アスリート以外にも、スポーツは別の可能性を秘めています。国際競技イベントの勝ち負けだけが、スポーツに参加する一人ひとりの目標とは限らないはずです。競技場の外でこそ、スポーツにはより多くの可能性を秘めているのかもしれません。