春風を待ち望むとき、私たちは何を願い、何を待ち望むのでしょうか。
これはある歌の物語であり、近代台湾の文化史でもあります。「望春風」は歌の発表から台湾人に寄り添うこと90年、三世代を跨ぎ、異なるエスニックグループにより歌われ、愛されてきました。男女を問わず多くの著名歌手がカバーしており、そのバージョンは数え切れません。アコースティック蓄音機から電気蓄音機、ラジオ、テープレコーダー、そしてカラオケやCDプレイヤー、iPod、スマホなどで楽しまれ、さらにはレコード版オーディオドラマ、舞台劇、映画、小説、連続ドラマとなり、カルチャーイベント、雑誌や出版物にも登場するなど、「望春風」はいつの時も人々の身近にあり、遠く海外にいる台湾人にとっては郷愁を誘う歌ともなりました。
一堂に会した様々な形の「望春風」は、台湾流行音楽の根底に流れる大河であり、台湾に暮らす人々の現在や未来、そしてその欲望と想像が聞こえてくるようです。
1. リズム-曲風の変遷
1.1 ロマンチックな調べ
1933年9月、「望春風」は台湾コロムビア文芸部により東京のスタジオで収録されました。ゆったりとしたリズム、ハワイアンギターの音色、短くシンプルな曲調、そして幻想的でストーリー性のある2番までの歌詞は覚えやすく、誰もがその旋律に魅了されました。「望春風」はこうして流行の話題をさらい、末永く歌い継がれていくことになりました。
今流れているのは収録時のNG版です。レコード版と聞き比べてみると、歌手の純純は歌の中の少女の気持ちを模索しているようにも、また歌い慣れた歌仔戯(コアヒ)の節回しから新たな歌唱法を試しているようにも聞こえます。その真っ直ぐで素直な歌声は、初期の台湾流行歌を代表するものと言えるでしょう。
1-2. 吹き鳴らされた動員のラッパ
トランペットによる高らかな前奏と中低音の管楽器による力強い行進曲。少女が心に秘める片思いを歌った歌が、心を奮い立たせる軍歌に大変身。
「望春風」が発表されると、台湾のレコード市場では若い男女の自由恋愛を歌った歌謡曲が主流となり、中国楽器を伴奏にした小曲も発展しました。1937年、日本は中国への侵略戦争を発動し、戦局が当時の話題の中心となりました。このような背景の下、台湾コロムビアの日本本社も国策に合わせ、「望春風」に日本語の歌詞を付けた「大地は招く」を満洲開墾の宣伝歌としたのでした。
歌は忍びよる軍国主義の足音のようであり、学校や組織団体の活動の中で歌われ、戦争時代を過ごした世代にとっては特殊な音の記憶となりました。
1-3. ジャズと歌舞団
リズムを勢いよくリードするトランペット、アップテンポなサクスフォーン、そしてコントラバスの流れるような演奏が、ジャズの都会的な幻想へと誘います。
このジャズ調の「望春風」は、1957年に鼓覇大楽団によって改編された作品です。鼓覇大楽団は1953年に設立された、今も活動を続ける長寿のジャズバンド、そして歌手の藍茜は当時としては珍しかった台湾人ジャズシンガーでした。戦後初期、各地を巡回して演奏を行う音楽バンドが大人気となりました。特にジャズが流行の最先端とされ、中でもトランペットの名手、楊三郎氏が率いた黒猫歌舞団が代表的です。また、淡水河沿岸で人気を集めた露店歌謡ホールでは、楽団は歌本を売り、オーナーは茶を出し、舞台の出演者も客席の観客も楽しく和やかな一時を過ごし、まさに1950年代の台湾流行歌が発展した中心地でした。
1-4.時代のリズム大集合
1967年に亜洲唱片よりリリースされた胡美紅の「望春風」は、わずか三分あまりの歌に、当時人気のダンスリズムがすべて盛り込まれた作品に仕上げられています。最初のスローロックから中盤のギターソロ、これに続いてゴーゴーダンス、チャチャ、ジルバ、フォックストロットなどが代わるがわる登場し、大衆文化の驚くべき豊かさを感じさせます。
当時、台湾の歌謡界では日本歌謡のカバーが主流でしたが、胡美紅の「望春風」のように、台湾語の古い歌を新たにアレンジした素晴らしい台湾本土の作品も生まれました。胡美紅は当時の著名アマチュア歌手で、人前で歌うことはほとんどなかったものの、そのしっとりとした優しい歌声は人々に広く愛されました。当時を知るお年寄りたちにとっては懐かしい歌声であり、黄金時代を迎えた台湾本土歌謡の輝かしい瞬間でもありました。
1-5. 電子音楽の味わい
1971年に海山唱片よりリリースされたテレサ・テン(鄧麗君)の「望春風」は、全体の伴奏が当時としては新しかったメロトロンにより演奏され、音楽の電子化時代の到来を感じさせます。テレサ・テンの歯切れの良い、生き生きとした歌い方や、歌詞にはないアドリブを加えるなどの即興的な演出は、朗らかで真っ直ぐな息吹を感じさせます。
「望春風」は劇団の海外公演に伴い、早くから東南アジアの閩南人(福建省南部にルーツを持つ人々)の間で親しまれ、様々な調子の歌い方が生まれました。その中でテレサ・テンの「望春風」は、シンガポールやマレーシアでの歌い方に近いとされ、東南アジアでの公演で客席からリクエストがあれば、彼女は快く台湾語の歌を歌いました。東アジアの歌姫の登場により、台湾歌謡はアジア市場へと進出することとなりました。
1-6. 不朽の名曲へ
台湾の歌姫を代表する一人、鳳飛飛が歌う「望春風」は、歌い出しは少女の恋心をしっとりとした歌声で表現し、伴奏や演奏楽器が加わっていくのに伴い音楽も豊かさを増していきます。また、バイオリンが存在感を放つ間奏が古い名曲に洗練された質感を与え、三番ではコーラスが加わり国民的歌謡のスケール感を醸し出しています。そして再び彼女のソロに戻り、最後に感動深い余韻を残します。
著名な中国語歌手である鳳飛飛は台湾本土の歌謡に特に関心を寄せ、1980年代に制作されたアルバムでは台湾語の古い歌を多数収録しました。1992年リリースのアルバム『想要弾同調』に収録された「望春風」は、かつての流行歌を新たにアレンジし、「望春風」の名曲としての地位を確立したばかりでなく、本土文化に対する自信を新たな形でアピールするものとなりました。
1-7. R&Bの響き
陶喆 (デビッド・タオ)のファーストアルバムは、珍しく懐メロ「望春風」をリード曲とし、古い歌謡曲に新たな命を吹き込んだものとなりました。歌い出しのアカペラ、メリスマ(一音節に複数の音階を当てた歌い方)を取り入れたR&B調は、時に高らかに、時に静かに抑揚自在。二番は新たに中国語の歌詞が付けられ、新しい世代の洒脱な愛情観を歌い上げました。
陶喆の「望春風」は、その懐かしくも新しくもある曲調と、悲喜が交錯した歌詞が幅広い世代を魅了しました。ポップスの中に温もりと帰属感を見つけることのできるまったく新しい「望春風」は、歌声の冒険と探索の過程でもありました。
2.心躍る-愛情の歴史
「望春風」の歌詞をじっくりと読んだことはありますか? 台湾人の90年来の愛情の秘密が、この歌詞には隠されているのです。
「獨夜無伴守燈下」(独りぼっちの夜 灯りの下に佇めば)――吹いてきたのは清風か、冷風か、それとも春風か。「十七八歳未出嫁」(十七、八の嫁入り前の私は)――あの若者を見かけたのか(「見到」、「看到」)、偶然出会ったのか(「遇到」、「搪到」)、それとも思い出した(「想到」)のか。
その答えで、皆さんがどの歌手が歌った「望春風」をよく聴いていたかが分かります。どの歌手にも、どの聴き手にも自分だけの「望春風」があり、思い描く愛の形があるのです。
「望春風」が歌い継がれる中で、最も大きな変化は最後の歌詞です。今では「月娘笑阮憨大呆 互風騙毋知」(お月様がお馬鹿さんねと笑っている 風に騙されたことも知らないでと)と歌われることが多いですが、純純が歌った最初のバージョンは「月老笑阮憨大呆...」でした。「月娘」とは空に浮かぶ月のこと、「月老」は縁結びの神様「月下老人」のことで、風に騙された私を笑っていたのはお月様ではなく、最初は月下老人だったのでした。
3. 国家-動員の歴史
かつて台湾は日本帝国が南進するための基地、戦後は大陸反攻のための橋頭堡となり、その後には新たな台湾本土のアイデンティティが生まれました。どの国家意識の時代にあっても、「望春風」は動員のためのメロディーとして流れたのでした。
4. スタ-アイドルの歴史
台湾では誰の心にも自分だけの「望春風」があります。「望春風」にまつわる著名人のエピソードを振り返ると、それが台湾文化の発展史そのものであることに気付くことでしょう。
5. 郷愁-アイデンティティの歴史
台湾社会において「望春風」は単なる歌だけに留まりません。「望春風」は今や特殊な象徴的意義を持ち、人々のアイデンティティ、人々の郷愁と繋がった存在となっているのです。