緩急の間:台湾鉄道旅行特別展

緩急の間:台湾鉄道旅行特別展
今から100年程前、世界的な潮流の中で、台湾にも最初の縦貫鉄道が開通、南北をわずか14時間で結びました。汽車が最もスピーディーな交通手段となったのです。経済環境の好転、レジャーブームに乗って、鉄道の開通が人々の移動、往来を促進し、人々はまず汽車を利用するようになりました。しかし、1980年代の道路輸送の隆盛、2007年の高速鉄道(高鉄)開通によって、「一日生活圏」の定義が書き換えられ、鉄道旅行のスタイルも大きな転換期を迎えることになります。特に、高鉄の開通した現在、週末二日間の休日を利用した旅行が一般的になり、またエコ意識の高まりによって、電車旅行が低炭素の旅行方式として注目されています。また、高鉄と台湾鉄道の「速く/ゆっくり」の選択肢が生まれ、列車は単なる交通手段にとどまらず、それ自体が旅の目的となりました。
車窓を流れる景色を眺め、車内の人々を観察し、旅の素晴らしさと感動を実感しながら、旅と人生の意義について思い巡らす。これこそが鉄道旅行が人々をひきつける魅力でしょう。生活のリズムが速すぎる現代社会において、列車の緩急は日々の生活のスピードの変化のようです。歩を緩めてみると、より豊かな風景が見えてくるかもしれません。生活の緩急、あなたはどんなスピードを選択しますか?
1.旅行移動のスピード競争
台湾人の南北移動は、当初は「11番バス」つまり二本の足がたよりでした。その後牛車、籠の時代を経て、1888年に台湾初の汽車が誕生、1908年には南北縦貫鉄道が開通します。その後1990年代に台湾を一周する鉄道網が完成、2007年には高速鉄道が開通するなど、移動のスピードはますます加速し、それに従い南北交通の所要時間もどんどん短縮されていきました。清朝時代は徒歩で10日だったのが、縦貫鉄道開通により汽車で14時間、1960年台湾鉄道の「飛快車」が5.5時間、2007年開通の高鉄では1.5時間と、まるで時代と競争するかのように速くなってきました。各時代の旅行移動は、各世代の人々の移動に対するイメージを変え、益々スピードアップする移動経験によって、台湾人のライフスタイルも変わり、同時に「スピード」に対する反省も生まれてきました。2.日本時代の汽車に乗って旅に出る
台湾の鉄道旅行のルーツは日本時代にあります。縦貫鉄道開通は、旅行の利便性を大きく高めますが、多くの台湾人にとって高価なキップは手の届かないものであり、一等車乗客の多くは外国人や日台の上層階級でした。台湾の庶民にとって、汽車で「神様の誕生日」のような祭典に参加することが、もっとも一般的な鉄道旅行体験でした。また郊外の海水浴場や、北投での納涼、花蓮での月見等もよく行われました。観光業の推進役となった鉄道部は、観光コースの考案、割引券やセット券等様々なサービスを打ち出し、利用者数を増やしていきます。また日本内地の人々や外国人の観光誘致にも力を入れ、1935年「始政40周年記念台湾博覧会」で鉄道旅行は絶頂期を迎えます。1930年代は日本時代における鉄道旅行の黄金時代でした。