本展示は「移動」をテーマとする。原住民族が様々な時代に経験した、族群(エスニック・グループ)、集落、個人それぞれの移動、それに伴う多重的な変化、変遷にまつわる物語を7つを紹介する。大きな歴史の波の中で起こったによって、地理的、身分的、心情的な移動を余儀なくされた原住民たちは、その経験をいかに語ったのか考えてみたい。
こうした当事者にとっては切実なライフヒストリーや歴史記憶に関する本展示は、台南、高雄、屏東三地、9つの原住民文物館関係者の共同執筆によって生み出された。職員、や原住民当人が口述記録、歴史資料から各地の声を集めて、国立台湾歴史博物館と共同して企画したものである。それは、原住民の物語にとどまらない。この土地で何が起こったかについて知りたい我々が、共に出発、探索、共鳴する物語なのである。
集落が国家政策によって移住を余儀なくされた時、新たな土地でいかにアイデンティティや記憶をつないだのか。
日本政府の政策によって新たな集落をつくることとなり、新たな土地で助け合いながら共に歩んだ道にまつわる物語である。
現在の賽嘉集落の住民は、もともと徳文村内の異なる集落の住民であったが、日本の「集団移住」政策によって一つの集落に統合された。新たな土地に移住した彼らは、数世代にわたって農業、労働生活を共同で営み、土地への記憶、アイデンティティを生み出していった。
集落が経験した移住、旧集落の生活の記憶。白鷺集落は国民政府の原住民保留地政策によって、1959年から移住が進められ、高見集落と合併し南和村となり、文化や生活上の変化を強いられることになる。白鷺集落の人々の生活の記憶から、過去の姿を追憶してみたい。
市場原理によって都市に移動することとなった原住民は、都市でどのようなライフスタイルを形成することになったのか。
1930年代、都市化する屏東市内の屏東公園北方に、パイワン族の伝統的石板家屋が数棟出現する。当時はバンオク(蕃屋)と呼ばれた。屏東古地図史料に示された二つの地点、「蕃屋」と「地方工芸紹介所」はかつて当局が重点を置く観光スポットであった。最初期の原住民文化エリア、100年前の「映えスポット」であったといえる。皇室、地方の紳士、修学旅行の学生等が撮影した写真が残っている。だが見方を変えれば、これは日本政府による原住民のコロニアルな展示だったのである。
一方、原住民の視点から見れば、こうしたスポットは工芸職人の都市への移動という経験に関わるものである。文献やフィールドワークを通じて、こうした人々の記憶を紐解いてみたい。
- 都市奮闘記――山から来たNgudradrekaiルカイの人々
故郷霧台から都市に移住した三人の原住民の姿を通じて、都市生活、その文化の強靭さを見てみたい。
民国50年から80年頃まで、屏東県霧台郷内のルカイ族の若者は、経済、就学、医療等の諸事情によって、故郷を離れて都市での生活を始める。言葉の壁、環境不適応、生活習慣の違いに直面しながら、助け合い、団結、共有の精神によって都市生活に順応、その土地にあったルカイ文化を生み出していく。
- 都市のパイワン族――Vusam a kemasi kuabar(古華から来た)
屏東古華集落の人々の、台南永康移住のライフヒストリーである。1972年のリタ台風に襲われた屏東春日郷パイワン族古華集落では、生活のために台南永康への移住を決める。台南での定住、文化伝承の物語が展開されるのである。「Vusam a kemasi Kuabar」とは「古華から来た種」という意味、彼らが持つ種(Vusam)の価値について考えてみたい。
抗うことのできない歴史の中で、原住民はどのように失われつつあるアイデンティティを追い求めるのか。
戦争によって忘れられたSapediq(射不力)の人々、彼らの歴史を追い求める。Sapediqには19の集落があったが、牡丹社事件後日本の集団移住政策によって離散させられる。獅子郷文物陳列館のキュレーターは、牡丹社事件北路戦線の古地図を利用して、Sapediqの探索を試みる。
- 聖貝に守られた人びと――Hla’alua(ラアロア)を探す物語
ラアロア族は移住の過程で、変化したものもあれば変化しなかったものもある。そこから今日の貝神に守られた人びと――ラアロア族が形成された。
同族は渓流沿いに住む人々で、高雄市桃源区荖濃溪西岸の耕作地帯に居住している。移住の過程で他族と出会い、文化的な交流を経てきたことから、政府の区分ではツォウ族に帰属していたが、2014年にラアロア族として独立した。現在高雄市桃源区高中里、桃源里、那瑪夏区瑪雅里、また少数が三民里の民権村に居住している。