「Who Can Help?」――2020年4月、新型コロナウィルスが蔓延し、各国が自国の対処に追われていた頃、26,980人の台湾人が15時間以内にクラウドファンディングで目標額を達成、誇りをもって世界に伝えました――「TAIWAN CAN!」。しかし半世紀前までの台湾では、このようなことは想像すらできなかったでしょう。すべての困窮は不幸と見なされ、無言のまま背負うべき運命だったのです。
「あの時代はまるでブラックスボックスのように、情報が入ってくることも外部に伝えることも許されなかった。人々は世界の動向を知ることはもちろん、声を出すことすらできなかった。…あたかも台風の目のような真空地帯だったのだ」。写真集『真空の島・台湾』は、世界から見た戒厳令時代の台湾をこのように形容しています。そのような最中の1940年代末、外国からこのフォルモサ(麗しの島)、台湾にやって来た人々がいました。「真空地帯」と見なされていた時期に、彼らは台湾諸島の最も到達し難い場所へと赴き、助けを必要とする人々に手を差し伸べたのでした。
1950年代、長老派教会のジェームズ・ディクソン牧師とからし種の会の創設者である妻のリリアンの紹介、協力または代理の下、メノナイト、ノルウェーミッション協会、アメリカによる援助、海外盲人協会、ワールド・ビジョン、中国児童基金会(台湾家扶基金会の前身)など世界各地の支援や資源が台湾に入ってくることになりました。その支援団体の多くが台湾に根ざした活動を続け、今や誰もが知る社会救援組織となり、近年は活動を世界にも広げ国際的な支援の一端を担っています。
苦難の中にあった当時を振り返り、台湾の人々に差し伸べられた善意を顧みると共に、他人を助けることの意味を改めて見つめ直し、外部の援助を必要としてきた台湾が、世界に貢献できる力を持つに至るまでの歴史を見ていきます。