展示主旨
2021年、中央研究院元院長である李遠哲氏が国立台湾歴史博物館を訪問し、「ノーベル賞」を含めたこれまでに受け取った賞状やメダルを当館に寄贈した。李氏は、その寄贈式の終了後に行われた学生との懇談で「あえて人と異なる道を進む」ようにと激励した。本特別展では、李氏が寄贈した文物を主軸として、既存の社会的な枠組みを超えて、志を同じくする仲間と共に行動し、世界を変革してきた李氏の姿を示す。
李氏の歩みを見ると、既存の概念を打ち破って確立した新たな「科学的理性主義」と、他者への思いやりや、共生を目指す「ヒューマニズム」が、矛盾なく、表裏一体となって、オリジナルな社会実践の道へとつながっていることがわかる。李氏のような「異なる道を歩む」科学者の成長過程は、、近代科学や生態環境学習、また世界に対する今の台湾の貢献を知る入り口となるのだ。
ノーベル賞と李遠哲現象
台湾生まれで、修士号取得後に渡米し、20年以上研鑽を積んだ学者がノーベル賞を受賞した。1986年10月のことである。台湾人にとって奇跡のようなこのニュースは、メディアで大いに話題を呼んだ。誰もが李遠哲氏の経歴や背景、彼の社会に対する考えに興味を持った。台湾アイデンティティが未だ明確ではない時代の台湾にあって、ノーベル賞とその受賞者である李氏は、暗闇の中に射すひと筋の「台湾の光」として、我が事のように誇らしい存在に映っていた。また、堂々と自らの主張を率直に語る科学者らしい彼の姿勢は、混迷と転換を迎えた時代における、新たな指針となった。
台湾に根を張る先端科学
李氏は高校時代にキュリー夫人の物語に感銘を受け、科学者を志す。台湾では関連する研究を独学し、1961年に米国留学。その後、10年間の研究生活を経て、分子衝突の動力学の分野で多大なる業績を残した。彼の手による「通用型交差分子線実験装置」は、その自立的思考、何事にも没入する探究心、オープンな姿勢を象徴している。
1980年代に入ると、台湾大学の先輩である張昭鼎氏と連携し、中央研究院原子分子科学研究所の設立に奔走した(1982年準備開始、1995年正式発足)。同研究所は、内外の優秀な若手研究者を招聘するなど、長年の努力が身を結び、今や世界トップクラスの研究機関である。所属する科学者は研究はもとより、「キュリー夫人高校化学キャンプ」を成立して科学の普及教育に携わり、先端科学が台湾で成長するための後押しをするよう期待されている。
新たな故郷に向けた実践
1994年、帰台した李氏は中央研究院院長に就任する。折しも台湾は改革の時代を迎えており、業務の傍ら、社会活動にも関わる。これまで、教育改革諮議委員会の発起人(1994-1996)、地方創生を推進する雑誌『新故郷』の発行人(1999-2001)、九二一大地震の復興再生の民間諮問団団長(1999-2000)、陳水扁元総統の選挙運動の国政顧問団主席顧問(2000)、超党派の両岸政策チーム発起人(2000)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の台湾代表(2002-2004)などを歴任。さまざまな難局にあった政治的社会的課題に対し、李氏は中心的な立場で積極的に関わってきた。
中央研究院院長を退任後、李氏は海外へ渡り、国際科学会議(ICSU)に参加する。2008年には同会の理事長に選出され、特に発展途上国の科学的課題に取り組む。各分野の科学者を繋ぎ、新たなライフプランや産業計画を立案・推進、さらには地球温暖化の危機に対して、人類と自然が調和した持続可能な地球の可能性を追求している。