北九州市漫画ミュージアム 5階 企画展示室
開館時間 11:00~19:00(最終入館18:30)
休館日 毎週火曜日、年末年始(12/31~1/3)
本展は、台湾における貸本屋の歴史変遷を中心に、どのような漫画が読まれ、流通し、制作されてきたのか一望するものです。台湾の貸本屋で流通していた漫画を見ると、日本統治の影響など、台湾の社会的・政治的な変動が色濃く表れています。台湾貸本屋と漫画の歩み100年を振り返ることは、つまり台湾の100年の歴史を振り返ることでもあるのです。
この展覧会がみなさんにとって、台湾と日本の共通点と相違、そして現代の台湾における漫画文化の独自の発展を知るきっかけとなれば幸いです。
貸本屋の出現
20世紀初頭に、台湾の新聞で貸本屋についての記事が初めて掲載された。そこでは、当時、台北の貸本屋には日本の講談本や小説雑誌などが多く揃えられていたと紹介されている。その他に台湾で制作された『学友』『東方少年』などの児童や少年向けの総合雑誌、『漫画大王』のような漫画専門誌なども人気であった。
1960年代に貸本屋が次第に主流に
1960年代に入ると、50年代に流行した漫画雑誌が次第に休刊や廃刊となったため、単行本がこれらに取って代わり、貸本屋の主力商品となった。したがって、単行本は台湾の民衆の漫画読書の主要な担い手になった。出版社はまず漫画家に武侠小説の翻案や日本漫画の模写や模倣を要請し、「一日一冊」という方針を掲げ、ハイスピードで漫画を出版した。
検閲の時代におけるマンガ
書物は人々の思想、知識や行動に影響を与えるため、政府などの公権力は常にそれを掌握しようとしてきた。1966年の「連環画編集印刷輔導法」の実行によって、直接的には台湾における漫画の発展が妨げられ、間接的には海賊版の流行を招いた。
「貸本屋」の最盛期
1990年以降の十数年間は、台湾における貸本屋の黄金期であった。学生客が大量に訪れ、店側も積極的に学校や商業地域、市場の周辺に店舗を広げた。加えて、1992年に施行された著作権法改正により、海賊版は瞬く間に市場から消え、出版権を得た日本の漫画がふたたび出版されるようになった。そのため、判型が大きく、紙質も良く、印刷クオリティーが高い漫画が現れた。これらのことは、貸本屋の品質改革と深く関係している。これらの変化にしたがって、台湾の漫画や雑誌もその存在感を増し始めた。
21世紀における多角的な運営下の転機
21世紀に入り、下火になったとはいえ、貸本屋業が与えた実質的な影響は大きい。50年間に及び多くの台湾人に読書の楽しさを教え、間接的に創作に従事する人々を育成し、アニメや漫画のファンダムを構築、ゲーム産業発展に先鞭をつけ、台湾文化やクリエイティブ産業の繁栄をもたらした。多くの新しい会社が書籍のレンタルサービス事業に参入している。彼らは飲食、宿泊といったサービスのほか、古本、オルタナ的な作品などをポテンシャルのある商品として取り入れ、伝統的な貸本屋とは異なる路線を試みている。
貸本屋の空間から脱出し、国境を越えた台湾漫画
近年、台湾政府はマンガに関する政策を促進している。新たな漫画の創作ブームを引き起こしたCCC創作集の出版、金漫賞の設立や漫画助成金の提供、漫画家の海外展示や駐在、台湾文化内容策進院による産業投資、なにより国家漫画博物館設立に向けたサポートを行ったことによって、台湾の漫画は開花し、日本でも台湾の漫画が見られるようになった。
結び
「貸本屋」は、世代をまたいで、台湾人にとっての共通の記憶である。1960年代の武侠小説のブーム、1967年には検閲制度による挫折を経て、1980年代から1990年代の日本漫画の大流行も経験した。今、台湾に残った貸本屋は多くはないが、もし街のどこかで見つけたら、スマホから少し離れて、「貸本屋」の漫画と一緒に不思議な旅に出てみてはいかがだろうか?