展示説明
1928年に開設された韓内科は、台南の発展を百年近く見守ってきました。創設者である韓石泉先生が1945年から亡くなるまでに残した約8万部のカルテには、その診療の様子が記録されています。これらのカルテを通じて、第二次世界大戦末期の状況、台南市民の生活、伝染病、そして医療がそれにどう立ち向かったのかが垣間見えます。韓内科は困難な時期でも医療サービスを提供し続け、そのカルテは地域医療史の貴重な証言者となっています。韓良誠先生と成功大学歴史学科の研究チームと共に、これらのカルテに隠された物語を探求していきましょう。
韓石泉先生と韓内科のカルテ
1928年の創立以来、韓内科は台南で最も重要な診療所の一つとして、近隣、遠方の患者にサービスを提供してきました。現在でも韓良誠先生が診療を続けています。丁寧な問診を行っていた韓石泉先生が生前に残した約八万部のカルテは、子供たちによって保存され、昔日の診療所に関する最も完全な歴史記録となっています。韓先生は患者を家族のように大切に思うのみならず、台湾社会全体に対する深い関心を持ち続け、様々な時代や政権を越えて活動してきました。韓先生の手書きカルテを通じて、我々は台湾の物語を知ることができます。
動乱の時代を生き抜いた韓内科
90年以上の歴史を有する韓内科は、日本統治時代、第二次世界大戦、そして二二八事件など、多くの重要な歴史的事件を経験してきました。1945年、戦争末期には米軍の空襲が激化し、台湾全土が混乱に陥りました。当時、都市の住民は田舎へ疎開するようになりましたが、疎開中、韓一家は周囲からの温かい支援を受けながら、困難を乗り越え、韓内科の運営を続け、地域の重要な医療サービスを提供し続けました。不安定な時代であっても、人と人、医者と患者との間に築かれた絆はなお、その温かさを保ち続けています。
カルテが語る歴史
カルテを用いた歴史研究は、欧米、日本、韓国で広く行われています。カルテから得られる情報を通じて、地域の医療史を再構築し、庶民の生活に関する重要な手がかりを読み解くことができます。韓石泉先生のカルテによって、戦後初期の地域医療史や民衆史の研究の扉が開かれたのです。これらのカルテを通じて、地域の流行病史や治療方法を追跡し、患者の背景や特徴を分析することで、職業、家族構成、生活環境、食事習慣など、多岐にわたる情報を知ることができます。さらに、ビッグデータ分析を通じて、家族構成や性別比率などを比較することで、今では姿を消した産業様態などを明らかにすることも可能です。
結び:医療システムの伝承
1928年創立の韓内科は、植民地に生きる医師の社会参加、そして戦争がもたらす激動の時代を見守ってきました。1963年、韓石泉先生が亡くなり、三番目の息子である韓良誠先生が引き継ぎ、現在も診療を続けています。韓良誠先生は父親の理念を受け継ぎ、教育や公益事業に尽力しながら患者のケアに努め、台南で最初の内科ICUを設立しました。さらに、台湾の高齢者医学の発展を促進し、成功大学の老年学大学院や台湾初の老人病院の設立に貢献しました。
韓内科に入ると、左側にはかつてのICUがあり、現在は患者の待合室として利用されています。右側にはカルテ室があり、数十万部のカルテが天井まで整然と積み重ねられています。親子二代の韓先生が記した手書きカルテは、医者と患者との間の真実の関係を示す記録であり、時代の変化の証人でもあり、医療と疾病の関係における関心とケアの在り方を示しています。