メインのコンテンツブロックにジャンプします
「この土地、この民-台湾の物語」
わたしたちの台湾の島に寄り添って、数百年の記憶を一緒に辿ってみませんか。ここでは起源にまつわる神秘的な伝説から、この土地とともに幾度となく体験してきた時代の変遷や激変など、大きな歴史の波に呑み込まれた人々の様子や声、そして物語を目にすることができます。

ここでの展示は「時代」を1つの枠組みとして、「台湾、出会いの島」、「最初の上陸」、「海によって生きる島と人」、「山海間での共存と競合」、「新秩序の下での苦悩と夢」、「民主化への道」、「みんなの博物館」という7つのコーナーから形成されています。紀元前から現代まで異なる時空の中に、共通する何かを感じるのではないでしょうか。

台湾の物語は、「出会い」から始まります。これは様々な人々がぶつかり合い、模索しながらも、共有した一つの土地の物語です。

紀元前の物語では、最古の台湾人はいったい誰で、どこからどのようにやってきたのか、文字による記録が残る前に、すでに多くの人々が海を越えて台湾に渡って来ていました。その頃、人々は小さなグループや小さな部落の形で来台しては、その地で多様な文化を形成していきました。彼らはこの島で往来・交流を重ね、ここを拠点としてまた別の世界へ向かって行ったのです。

16世紀中期には、台湾は東アジア貿易の合流地・中継地になっていました。東洋・西洋の国が制海権をめぐりここで競合し、台湾の原住民社会は次々と襲いかかってくる外国からの脅威に直面し始め、最初、台湾は明国と日本の商人や海賊らの貿易の取引場所になりました。17世紀以降、ヨーロッパから来たオランダ人やスペイン人が入植。東洋と西洋の文化がこの地で交わり、台湾は東アジアの歴史において重要な役割を果たしました。

17世紀、貿易が活発化する中で台湾は、1684年に西側に隣接する清国の版図に正式に組み込まれました。それを機に漢民族が海を渡って大量移住し、中央山脈から西の平地、丘陵、山沿いなど様々な地帯や区域で各々の集落や産業、生活方式を作り出し、やがて移住してきた漢民族を主体とする伝統的な地域社会が形成されたことで、現地の原住民社会は未曽有の打撃を受けました。この山と海の間にある土地で様々なエスニック・グループの人々が共存しながらも競合していたのです。

1894年に清国は日清戦争に敗退。翌1895年に台湾を日本に割譲した後、日本は強大な軍事力により台湾を征服接収し、統治しました。新しい統治者は、それまでの統治者とは違い、国の統治権徹底に力を尽くし、土地や個人を管理したばかりか、人々に対しても忠誠を誓うように要求しました。台湾人は新たな出会いの中で前代未聞の大変革を経験することになったのです。

1945年に第二次世界大戦が終結すると、中華民国が台湾を接収。多くの台湾人は、植民地支配からの解放や「祖国復帰」に期待を抱き、積極的に政治にも口を出していましたが、後に勃発した228事件の影響を受け、口をつぐんでしまいました。その後、中央政府が台湾に遷都し、海峡を挟んで両岸の軍が対峙しました。政府は人々の自由権を侵害し、38年間にわたり戒厳令下に置かれました。世代交代や社会力の向上に伴い、この紆余曲折の民主化の道は、異なる意見の駆け引き・摩擦のプロセスであり、直近の第二世代、第三世代の台湾人がお互いに助け合い、各方面での対話を行った命の体験でもあるのです。

「未来」は、様々な「私たち」を貼り合わせて創り出すものだからこそ、引き合う力と不確定要素にあふれているのです。それでも、無限の可能性があります。みんなの博物館の中で私たちは声を揃えてこう叫びます。「お互いの声で未来のメロディーを奏でよう」と。