台史博は開館10年を迎えました。その間14万点の資料を収蔵、85種類の展示を企画、数百回の各種イベントを開催、その間台湾史研究資料の収集を続け、同時に来場者も500万人(累計)を突破しました。資料を蓄積しながら、新たな試み、台湾の過去や現在への関心を忘れずに、長期的な視野で運営を続けてきました。台史...
ある人の世界観の変化は、その人の行動を変え、あるグループの世界観の変化は、一つの国の運命を変えることもあります。1921年から31年の間、台湾文化協会(文化協会、文協)は多くの社会運動組織の1つでした。会員数は最多でも1,000人あまりで、近代台湾の歴史において最も古い組織でもなく、人数も特別多かっ...
19世紀以来、イギリスの海外領土拡大とヨーロッパ帝国主義の台頭に伴い、スポーツは欧米文化の一環として世界各地に紹介されました。こうして新たな意義を付与された特定の身体運動は、徐々に人々の日常生活の一部となっていったのです。台湾社会でスポーツが幅広く知られるようになったのは、日本との接触を介してでした...
台湾における歴史上の船といえば、堂々と海を渡る大型船を思い浮かべる方が多いでしょう。しかし遥か遠洋にではなく、私たちの身近な生活の中にも、実は数多くの船がありました。かつて台南と安平の水上に60年以上も漂いつづけたこの小さな船は、ついに国立台湾歴史博物館へと辿り着きました。この展示では、当館が所蔵す...
無知なのは私たちの見識の方である。私たちは島民たちに名前などないと思っているが、彼らの名には波のような響きがある。陳黎『紅頭嶼・一八九七』より「私は台湾人だ」─この言葉は人々の心を一つにするために使われます。台湾社会では、このことに疑念を差し挟む余地などほぼないように思われますが、「私は台湾人だ」─...
国立台湾歴史博物館では、2000年から今日まで民間からの多くの文物寄贈を受けてきたが、そこには、目上の人が遺した品々も多く含まれている。文物の鑑定によって個人史、家族史が掘り起こされ、今を生きる子孫が、目上の人にまつわる小さな物語を再発見、再認識するのである。「目上の人」、「家族」への共感から、「祖...
"家を持ちたい "というのは、頑張って働いている人が、よりよい生活を求めていだく夢です。街に立ち並ぶマンション広告には、理想の家を持つ幸せいっぱいのイメージがあふれています。台湾は100年の間に2度も統治者が変わったことで、大きな政治的変化と人の移動があったことから、その都度、新しい近代的な住宅や住...